<チンバラーダの熱き行進>      


 今日の目的は、何と言ってもチンバラーダだ。プログラムによれば、バーハの灯台
のところから午後四時ぐらいに出発することになる。アバダーは盗まれてしまったが、
これを観ずして帰るわけにはいかない。

 それまでの時間、じっくり英気を養って......おくつもりだったが、バーハのメイン
ストリートから聞こえてくる音楽とざわめき、そして熱気が僕を駆り立てる。偵察も
兼ねて、昼の部ものぞいてみよう。昼間なら、カメラを持ち歩いても大丈夫だろう。

 念のため、ウエストバックにカメラを隠し、タンザニアで仕入れた裾の長い衣装を
着てみる。イレ・アイエの出陣式に着るつもりで持参したアラブ風の白い衣装だ。イ
スラム風の帽子と合わせて着るつもりだったが、コルテージョの羽根つき帽子のほう
が似合うかもしれない。

 冗談混じりに着てみると、正体不明の「白衣の怪人」が出来上がった。鏡をみて、
本人がプッと吹き出すくらいだから、街に来て出るとウケるかもしれない。どうせ、
東洋人の顔をしているだけで、十分目立つのだから、いっそこのくらい派手に決めて
やろうか。なにしろ、カルナヴァルなのだ。
 試しに、掃除の叔母さんやフロントのお兄さんに見せて意見を聞いてみると、予想
以上にウケた。ホベルトさんは手を叩いて喜んでくれた。よし、これでぶらっと歩い
てみよう。

 通りに出ると、子供たちが手を振ってくれる。大人たちも、親指を突き出すサイン
を見せてにっこり笑ってくれる。チームのアバダ−を着ている人が多いが、それ以外
にもピエロの衣装を着たりボディ・ペインティングをしたりして、衣装で盛り上げて
いる人がたくさんいる。中には大きなおなかを剥き出しにして、そこにローマ字で
「BABY」と大書して踊っている妊婦もいた。それを見た時は「この街の人たちは
生まれる前からカルナヴァルで踊っているのだ」と感心した。そんなざわめきの中で
は「白衣の怪人」も、さほど奇抜ではない。
 子供たちがめいっぱい着飾ってお洒落しているのが可愛くて、何枚か写真を撮らせ
てもらった。カメラを向けると、子供たちもその親も喜んでくれる。

 昼間のパレードだけあって、お子さま向けのマイルドな音楽と踊りで、なごやかな
雰囲気だった。なにしろ炎天下なので、そんなに激しくは動けない。でも、華やいだ
空気に満たされた、幸せそうな笑顔が溢れていた。制服を着た清掃係員が、ほうきを
片手に楽しそうに踊っていたり、ジュースを売るために発泡スチロールの箱を抱えた
少年が軽くステップを踏んでいたりして、ああ、まさしくカーニバルだな、と感じら
れた。

 部屋に帰ってシャワーを浴び、夕方に備える。プログラムによると、チンバラーダ
の出番は午後四時ぐらいのはずだ。どうせ遅れるだろうと思いながらも、はやる気持
ちを押さえかねて早めに宿を出てしまう。バーハの灯台のそば、トリオ・エレトリコ
の出発点に行くと・・・あった、あった。夢にまで見たチンバラーダのトリオが。ト
リオの上には、既に奏者たちがスタンバっている。トリオの横のステップには、チン
バラーダ模様のグリグリお姉さん(知ってる人は、説明しなくてもわかりますね)が、
BGMに合わせて軽く腰を振りつつ出番を待っている。黒い肌が陽光に照らされて美
しく輝いている。刺激的だ。わくわくする。

 トリオの周囲には、僕が盗まれた例のアバダーを着込んだ人々が、もうかなり集まっ
てきていた。一人ずつ違う番号のついたTシャツを着込んだロープの係員たちが、ア
バダーを着ている人だけを中に入れている。だが、トリオとロープマンたちの隙間は
数メートルしかないので、トリオの上にスタンバイしているチンバラーダの鼓手たち
の顔が間近に見える。そのうちの何人かは「白衣の怪人」姿の僕を見つけて、にっこり
笑って手を振ってくれた。

 いや、それ以前に、出番待ちで退屈しているロープマンたちが、しきりにちょっかい
をかけてくる。彼らにとって僕は、格好の見せ物なのだ。見たところ、あまり品のいい
連中ではないが、適当に話し相手になり、愛想を振りまく。これから四時間ほど彼らの
周りをついて回るのだ。仲良くしておくに越したことはない。

 出発を待つ間、何度も「アリガトオ」と声をかけられ、恭しく合掌された。 彼ら
に限ったことではなく、日本人を見かけた人は皆、そんなふうに挨拶するのである。
これは、バイーアの人気パゴーヂバンド「E O Tchan」のヒット曲「アリガ・チャン」
で有名になった日本語のフレーズだ。サビの部分で
「アリガトオォォォ、サヨナラアァァァ」
と歌うものだから、「アリガトオ」が日本人向けの挨拶として定着してしまったのだ。
 にこの曲のビデオ・クリップは、中国風の銅鑼を叩いたりタイ風に合掌してお辞儀し
たり、という実にいい加減なシロモノなのだが、それが日本のイメージとしてインプット
されたために、日本人は合掌して挨拶するもんだと勘違いしている人も多い。
 突然地元の若者5-6人に囲まれて、この曲をまるまる一曲歌いあげられたこともある
(もちろん、一緒に踊って「アリガトウ。サヨナラ」と握手して別れた。ふぅっ)。。。
 道で擦れ違う人に「アリガトオ」と声をかけられたり恭しく合掌されたりするのは
なんともくすぐったいものだが、東南アジアで何度か経験したように、いきなり「バカ
ヤロウ」と声をかけられる---天皇の軍隊がアジア各地でしょっちゅう使っていたために
「バカヤロウ」が最も有名な日本語として刻印されたのである---よりは、はるかに
気分が良い。

 ロープマンたちに次々と握手を求められて「俺はスターか?!」と自分に突っ込みを
入れつつ暇をつぶしていると、ジュースのようなものを呷っていた一人がそれを差し
出して「飲め」と言った。暑くて喉が乾いていたので素直に口に入れたら、胃袋から
喉元にかけて炎が舞い上がるような感触がした。自家製のカシャーサ<火酒>だ。
むちゃくちゃキツい。思わずむせ返る僕を、連中は手を叩いて笑いものにして、これ
見よがしにうまそうにグビグビと回し飲みする。このぶんだと、トリオが出発する頃
にはかなりできあがってしまうことだろう。

 このあと、自家製のカシャーサが一本1レアル程度で売られているのをそこかしこ
で見かけた。それをラッパのみする連中もたくさんいた。通勤時間の丸の内線なみの
人込みの中を、そんな連中が狂ったように踊り明かすのだ。言うまでもなく、無事で
済むわけがない。街は、かなりヤバい空気に包まれていた。

 西からの日射しを浴びて、デニーとニーニャが運転席の上に設えられたステージに
姿を見せた。二人とも、五年前の大阪公演の時のメンバーだ。あのときは、人気絶頂
だったボーカル・シェシェウやパトリシアたちの控え選手のような存在だったが、今
では押しも押されぬ看板ボーカルだ。後ろの正面には、新しく加入した日系人のアキ
ラとリオ出身の色の白い女性ボーカル二人が乗り込んでいる。

 デニーが僕を見つけて、ちゃめっけたっぷりに合掌してくれた。その笑顔を見て、
彼らもカーニバルの幕開けをワクワクしながら迎えているんだと感じた。アバダーを
盗まれたのは残念だけれど、「白衣の怪人」がこうして彼らのお祭り気分を盛り上げ
るのにささやかな貢献を果たしたのなら、それでよしとしておこう。

 そして、人々がざわめく中、総帥カルリーニョス・ブラウンが登場した。
 この男の仕掛けたムーブメントに惹きつけられた結果として、僕はこの地に足を
踏み入れることになった。チンバラーダの1stアルバムを耳にして以来、彼の曲、
彼の言葉、彼の足跡を貪るように追い求めてきた。
 世界中でいちばん注目していた男が目の前にいる。
 ほんとうに、夢みたいだ。
 トレードマークの濃いサングラスと酋長のような冠。彼にとってはカルナヴァルの
定番衣装だ。長身にしなやかな筋肉、そしてがっしりしたアゴ。予想していたとおり、
威厳たっぷりの存在感だ。

 トリオの上のステージ中央で、ブラウンがチンバウを叩く。いよいよ本番開始だ。
さすがにキレのいい、素晴らしい音色だ。しばらくソロをとったあとで、バンドが後
に続く。トリオの壁面が巨大なスピーカーになっていて、恐ろしいまでの音量が鳴り
響く。真横にいると、鼓膜が痛いぐらいだ。ロープマンたちは準備よく耳栓を持参し
ている。トリオの後ろをパーカッション部隊が行進するのかと思ったけれど、奏者は
すべてトリオの上にいて、路上ではリード・ダンサーとお揃いのアバダーを着た数百
人の群集が、ロープの中でうごめいている。

 そして、トリオがゆっくり動き始める。名著「バイーア・ブラック」の中で板垣
真理子さんが書いておられた通り、その姿には「風の谷のナウシカ」の王蟲(オーム)の
ような意志が感じられる。それを取り囲んで行進する人々は、守護神とともに突撃する
兵士たちのようにいきりたっている。
 ニーニャががなり声をあげて歌う。「Zorra, zorra.....」彼の野太い歌声によって
特殊なエネルギーを注入されて意識をいきなりレッドゾーンにぶち込んだ群集たちが、
太鼓のリズムに合わせて飛び跳ねる。なんて熱さだ。人々が、沸騰している。
 トリオのすぐそばはものすごい混雑なので、斜め前ぐらいを確保しつつ、一緒に前
進する。歩くのと同じぐらいの速度でトリオが進み、それに合わせてロープの仕切り
も進む。ロープの中で、黄色と黒のシャツ・赤い短パンという派手ないでたちの「守
られた人々」が、蜜蜂の巣をひっくり返したような凶暴さで踊りまくっている。カマ
ロッチが設置された場所で止まって数曲歌い、またじりじりと前進する。灯台から
キリストの丘まで、1kmほどのメイン・ストリートを通り過ぎるだけで30分ぐらい
かかったと思う。

 時々、ロープの先頭部分で先導している男が、わざとロープとアバダー組の人々と
の間に10メートルほどの空間を作る。後ろからトリオが進むと群れの密集度が高まり、
"押しくら饅頭"状態になる。そうして十分にエネルギーを貯えておいて、一挙にそれを
解き放つのだ。「ワァッ」と声をあげ、10メートルほどの空間をダッシュする人々。
ただそれだけのことなのに、背筋がゾッとするほどの迫力だった。

 カリブ音楽の資料をあさっていた頃、ビデオでハイチの「ガ・ガーの行進」風景を
見たことがある。薄暗い映像だったし、現地語の解説は聞き取れなかったが、そのビ
デオのイメージはくっきり焼き付いている。

 田舎道。群衆が不穏なエネルギーをたぎらせて前進しようとしている。先頭に笞を
持った男がいて、それを容赦なく振り回して人々を押しとどめている。先頭の男は、
天と地の呼吸を読み、精霊と交信して魔界との境界線を確認しつつ、群衆を導く。
「よし、今だ、今なら行ける!」先頭の男がそう判断し、笞を下げると、人々がワァッ
と駆け出す。たしか、そんな映像だった。

 あれは、奴隷時代の記憶を呼び戻すものだったのかもしれない。ハイチにしても、
ここバイーアにしても、おそらく彼らの記憶にそのままの形では残っていないだろう
けれど、抑圧と、そこから解放される喜びを体ぜんたいで味わっているみたいに見える。
 スペクタクル。まさしく、スペクタクルだ。

 村上龍がどこかに書いていた言葉を思い出す。「1人のトップアスリートが百メー
トルを9.8秒で走れば、それはスペクタクルだ。千人の人間が一斉に走れば、それも
スペクタクルだ。天安門広場を見ればわかるように、百万人ならそこに集まるだけで
スペクタクルだ。」
 今、この街はもっと熱いものに支配されている。

 音楽だ。バイーアの激しいリズムが、人々を心から熱狂させ、日常から遊離させ、
不穏なレベルにまでエネルギーを掻き立てている。トリオの巨大なスピーカーから流
れ出す音楽が天蓋のように街全体を覆っている。フライパンの中で炸けるポップコー
ンのように、人々の意識が変容し、沸き上がる歓喜は誰にも押し止められないほどに
溢れている。

 そんな群衆の真ん中に、ブラウンたちがいる。巨大なトリオの運転席の上で歌って
いる姿が、たまらなくカッコいい。背中に夕日を浴びて、熱狂の渦の中心に立ってい
る。その向こうに、ファロール・ダ・バーハがそびえている。なんて美しい姿なんだ
ろう。

 ロープの外側にも、内側と同じぐらい熱狂した人々が踊っている。アバダーを買う
ことなくロープの外でカルナヴァルを楽しむ人々だ。場所を決めてビールやジュース
を売っている人も多い。捨てられた空き缶を拾う子供たちがたくさんいる。半分ぐら
いは、裸足の子供たちだ。失業者の多いこの街では、この期間のこういう仕事が貴重
な現金収入になるのだろう。親を助けて働くのか、それとも、路上で暮らす親のいな
い子供たちなのか。

 売り子たちの中にも子供がたくさんいた。氷入りのクーラーボックスを脇に抱え、
空き缶に小石を入れたものをカラカラ鳴らしながら歩いている。飲み物は、どんどん
売られて行く。飲まれた空き缶はその場に捨てられる。その空き缶を踏みつぶして小
さくした上で袋に詰めている子供たちは概して暗い表情で、身なりも汚れているよう
な気がする。売り子のほうは、ほんの少しだが音楽を楽しむ余裕があるみたいだ。笑
顔でステップを踏んでいる子供もいる。そういうのを見ると、ちょっとホッとする。
空き缶拾いの子供は、ただただ路上を見つめているだけだ。拾うのは元手がなくても
できる仕事で、それ故に最底辺の仕事というわけだろうか。

 悦楽の境地で踊る大人たちのそばで、子供たちが一心不乱に働いている。この現実
は、とても強烈だった。五才くらいの子供が、つぶした空き缶を自分の背中よりも大
きなゴミ袋いっぱいに入れて、背負って歩いている。ガシャガシャと、音がしている。
その音は、どこかで耳にした音だ。

 「Eu quero uma latinha    僕は一つの缶がほしい(???)
  Transbordando voce,    あなたをあふれさせたい(???)
      Eu quero uma latinha   僕は一つの缶がほしい(???)
  Pra botar o que beber,   飲み物を用意するために(???)
      Ela e livre, ela e free,   それは自由、それは無料、(???)
  ela e do, ela e mi....」   それは慈しみ、それは僕、(???)

そうだ!!チンバラーダが歌う「A Latinha」という曲のビデオ・クリップで使われ
ていた効果音だ。僕は歌詞もろくに知らず聴いていたが、あれは空き缶拾いの歌だっ
たのか。タイトルも「ラティーナ(ラテン女性)」と勘違いしていたけれど、「lata」
(缶)に「縮小形」の "-nha" をつければ「ラチーニャ」になる。そうすると、この歌の
タイトルの意味するところは「空き缶」なのか。そういえばこの曲のビデオ・クリップ
には体中に空き缶をぶら下げて踊るシーンがあった。。。そうだったのか!

 「A timbalada ta de lata   Ta de latinha   チンバラーダは空き缶(???)
      O povo todo ta de banda  Ta de bandinha      民衆はみんな音楽隊(???)
      O povo todo ta de lata  Ta de latinha」  民衆はみんな空き缶(???)

歌詞の正確な意味は今でもわからないが、彼らにこういう子供たちの姿がちゃんと見
えていることは間違いない。「月刊ラティーナ」の記事によると、ブラウン自身がそ
んなふうにして家計を支えてきたという。そして、チンバラーダのメンバーも同じ階
層の人々なのだ。彼らは音楽で稼いだお金で地域に下水道を引いたり識字教室を開い
たりしている。

 商業化が進めば地域に金が落ちるが、一方で「一部のお金持ちだけがロープに守ら
れて楽しんでいる」「売れてるプロのバンドがゴールデン・タイムを独占するから、
地元民の作るブロッコ・アフロは深夜にしかパレードできない」などという批判も耳
にする。

 もちろん、一方で商業化されたカルナヴァルのおかげで日銭を稼げる人々もいるだ
ろう。いずれにせよ、「貧困」が根元的課題なのだ。その課題は気ままな旅人が思い
を馳せるにはにはあまりにも重い。ただ、ひとつ救いがあるとすれば、そんな子供た
ちを見つめ、手を差し伸べようとしている大人たちがいる、ということだろう。ネギー
ニョもブラウンも、小学校に行く代わりに路上で空き缶を拾ったり、ジュースを売っ
たりしていたという。二人とも、学校にはほとんど行っていない。彼らが音楽を身に
つけたのは、路上であり、テヘイロであり、カルナヴァルだ。そんな彼らが、今、民
衆のヒーローとして君臨している。その事実だけでも、子供たちの希望となっている
はずだ。明日のブラウンが、今ここで空き缶を拾っているかもしれないのだ。

 正直に告白しよう。僕がこんなことを心に浮かべていたのは、子供たちの姿を目に
した時、ほんの束の間だけだ。彼らの姿が視界の外にある時、僕は、理性も常識も
どこかにぶっとんでしまったまま熱狂の渦に埋没し、ひたすら陶酔していた。昨日の
ことも、明日のことも、なにもかも脳裏から消え去っていた。この街の抱えている
様々な矛盾や軋轢について思いを巡らせるような殊勝な態度はかなぐり捨てていた。
音楽が僕を支配する。何度もCDで聴いた曲が高らかに鳴り響く。人々が、声を合わ
せて歌い、踊る。僕もまた彼らとともに声をあげて歌い、激しくステップを踏む。 
僕の意識は熱気と汗と打楽器の鼓動の中に溶けて、跡形もなく消え去った。


2000年3月3日       
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