<今日もカーニバル>      


 ゆうべのチンバラーダの余韻がまだ残っていて、頭がボーッとしている。足の裏は
ひりひりしている。ま、ロープの外でもみくちゃになりながら四時間余り踊り通した
のだから、無理もない。最初から最後までロープの外側をついてきた「白衣の怪人」
の姿はトリオの上からよく見えたらしく、メンバーが何度も僕に向かって手を振って
くれた。アバダーを盗まれたのは、怪我の功名だったかもしれない。とにかく、満足
した。

 通常のライブならせいぜい二時間ぐらいの演奏で、それでもへとへとになる。それ
を、四時間以上休みなし、アクセル全開で突っ走ったのだ。服が汗みどろになって、
絞るとしずくが垂れた。重くなった白衣を脱いで短パン姿で宿に帰ったのが11時ごろ。
コルテージョが深夜12時頃にバーハから出発するはずで、サンドラさんと一緒に参加
しようと約束していた。
 キツすぎる。。。と思っていたら、サンドラさんの方もどこかで踊り疲れてしまった
らしい。「今日はキャンセルして、明日のに行きましょう」と言ってくれたので、正直
言ってホッとした。
 メインストリートではまだまだアラ・ケトゥやボン・バランソ等の人気バンドが行進
中だったが、とにかく寝ることにした。カルナヴァルは、まだ、始まったばかりなんだ。
眠らなければ、確実にぶっ倒れてしまう。
 ・・・しかし、体は泥のように疲れているのに、頭が冴えて眠れなかった。きっと
アドレナリンが異常分泌していたのだ。おまけにメイン・ストリートから聞こえてくる
トリオの演奏は部屋まで届く大きさだったし、ホテルのそばのいくつかの店がそれに
負けじと大音響でパゴーヂを垂れ流して朝方まで路上で踊っていた。とても安眠できる
環境ではない。

 ぼんやりした頭は、朝のコーヒーを腹に納めても元に戻らない。ぼんやりした頭で
今日の予定を決める。プログラムには、イレ・アイエやオロドゥン、フィーリョス・
ヂ・ガンヂーなどの大御所ブロッコや、ダニエラ・メルクリ、マルガレッチ・メネー
ギスなど世界的スターのほかに、マレー・ヂ・バレー、ムゼンザのようにいくつもの
歌に歌われ、慕われてきたブロッコ・アフロがたくさんある。その全てを見てみたいが、
それは物理的に不可能だ。
 プログラムを睨みながら行き先を選ぶのだが、実際のところ彼らが何時に出発する
のか見当もつかない。おまけに、カルナヴァル期間は主要道路が封鎖されていて、バス
の運行経路も通常とは変更になっている。

 「この一角は、毎日がカルナヴァル」・・・そんな宣伝文句で知られるペロ一帯は、
本当のカルナヴァル期間にはどんな顔を見せてくれるのだろう? とりあえず、今日
の昼間はペロに行ってDIDAの行進を見よう。Filhas d'Oxunというのも面白そう
だ。とにかく、あそこへ行けば何かが見られるだろう。

 ショッピング・バーハ横のバス停で、来たバスに乗り込もうとしている太った男性に
行き先を確認すると「間違いない。俺もペロに向かうことろだ」と自信満々に答えた
ので、その後に続いた。しばらく走ってから、進路がずいぶん違うと気づいたが、
その男は僕と目があう度ににっこり笑って「心配ない」と親指サインで合図する。
彼に悪い気がして、途中下車するタイミングを失ってしまった。
 ままよ、行くところまで行ってみよう。空は晴れていてきれいだし、窓から入る風が
心地よい。

 とうとう郊外の、人家の見当たらないあたりまで出てしまった。太った男は、それ
でもニコニコしている。
「あなたはバイアーノですか?」
と聞いてみると、
「いや、フランス人だ。でも、心配するな。このバスは、必ずラセルダのエレベーター
 に着く。ホテルを出る前に聞いて来たんだ」

 外見からブラジル人かどうかを判断するのは難しい。男はアマゾンで働いている技師
で、ブラジル滞在の経験は豊富なようだ。30分ほど、英語で雑談をしながら郊外の風景
を眺めた。昨日、あれほどの人込みの中にいたことが信じられないくらい、のどかな景
色だ。ま、こういうのも、いいか。

 やがてバスはチマチマした家並みの隙間を縫って急な丘を登り、猫の額ほどの広場
で停車し、エンジンを切ってしまった。運転手が下車し、車掌も降りようとしている。
フランス人技師がそれを呼び止めて「ラセルダへ行くにはここで乗り換えるのか」と
尋ねた。

 「それなら、少し待ってなさい。このバスがそっちに向かうから。」
白髪の車掌はそう答えたあとで、「あんたたち、どっから来たんだ?」と聞いてきた。
カエターノにちょっと似た、粋な感じの爺さんだ。
「俺はフランス、彼はジャポンだ」
「へえ、そりゃ、遠いところをようこそ。カルナヴァルに来たんだね。」

 爺さんはシートに座りなおして僕たちとしばらくしゃべった後で、
「乗り継ぎのバス代は要らないよ。わしゃここで降りるが、次の車掌に言っといてあ
 げるから」
と言い残して出て行った。去りぎわ、パンデイロを叩く仕種をして「まだまだ現役だ
よ」という笑顔を見せてくれた。カッコよかった。

 バスが再び動き出した時、フランス人技師が「あっ」と声をあげた。
「見たか、今の?!」
「いや、何かあったの?」

 すぐに答えがわかった。細い路地の向こうに見えたのは、「全ての聖人の入り江」
に連なるボンフィンの岬だった。僕たちは、リベルダージの丘の上方にいるらしい。
丘から海岸に至る斜面にびっしりと貼り付いた、マッチ箱のように小さく見える一つ
一つの建物からも、人々の生活の営みが感じとれる。そしてその先に、ミサンガ発祥
の地・本家本元のボンフィン教会が鎮座している。絶妙の距離からの岬の眺めは息を
飲むほどの美しさだった。
「遠回りをしたおかげでこんなに美しい景色を眺められたのだから、我々は幸運だ」
 そう言いながら握手して、ラセルダのところでフランス人と別れた。ここまで来た
ついでにメルカード・モデロを覗いてみたが、カルナバル期間中は閉鎖しているよう
だった。観光客がいちばん集まる時期だというのに、閉めちゃうなんて・・・みんな
商売よりも踊りに行くほうを選んじゃったのだろうか。

 ペロウリーニョ広場は、普段とそんなに変わらなかった。DIDAはとっくに出発
したみたいだし、出発地点も行進経路も定まっていないようだった。インフォメーショ
ン・オフィスの英語を話すお姉さんの説明では、
「ここはどこでもカルナヴァルなのよ。ほら、そこでも」。
 たしかに、あちこちで様々なバンドが演奏している。しかしそれは一年中この広場で
見られる光景だ。
 これなら、わざわざこの期間にこの一角に留まる必要はない。そこで、セントロ(旧
市街)を通り抜けてメイン会場のカンポ・グランジまで歩いてみることにした。セントロ
のあたりは普段は交通量が多く、ゆっくり歩いてみたくなるような場所ではないのだが、
今日はさすがに晴れやかな空気で満たされている。歩行者天国となった幹線道路を、
楽隊やトリオを率いた住民たちのグループが練り歩いている。夜のグループほどの迫力は
ないが、手作りの準備でパレードに臨んでいることが感じられ、とても好ましい。日本の
祭と違って、観客よりも参加者の方がはるかに多い。

 路上には、実に様々なグループが、それぞれ趣向を凝らした衣装で展開していた。
昼間なので、子供たちの姿が多く見られる。健全な若者たちは、いまごろ熟睡している
のだろう。そしてなぜか、ヘアウィッグや網タイツで女装した急造ドラッグ・クイーン
の見苦しいおっさんたちがたくさんいた。この連中のそばを通り過ぎると、その度に
ちょっかいをかけられて辟易した。
 そろそろバーハに帰ろう。

 今日もチンバラーダだ。昨日と同じ時間にバーハの灯台から出発する。昨日とは違っ
て普通の白いシャツを着ていったが、ロープマンたちは僕の顔を覚えていて、歓迎して
くれた。チンバラーダのメンバーも「また来てくれたんだね」という笑顔で僕に手を
振ってくれた。

 灯台の横の角を曲がったところで、人々が空を指差してざわめきはじめた。何だろう
と思って見上げると、短冊形の何かがひらひらと舞い降りてくるのが見えた。だんだん
近づいてきて、それがパラシュート隊であることがわかった。長方形のパラシュートを
あやつり、自由自在に方向転換している。それにしても、一体いつの間に空から撒かれ
たのだろう。

 人々の歓声の中、パラシュート部隊は一人ずつ、メインストリートの横の海岸に着地
した。幅5メートルほどの砂浜に全員が見事に降り立ったのは、今考えてもすごいこと
だと思う。

 今日も、すさまじい熱気で人々が踊っている。暴力的なエナジーが充満し、紊乱し
た空気が漂う。当然、喧嘩も始まる。すぐ目の前で、ビール売りの男に女が突進して
きていきなり殴りかかった。何の遺恨があったのか知らないが、女はものすごい形相
でパンチをくり出し、右ストレートが男のアゴをとらえた。男はすぐさま反撃し、こ
ぶしを固めて殴り返す。素人とは思えない腰の入ったパンチだ。それを女がスウェー
でかわす。二人とも空手かボクシングの経験があるのだろう。人込みの中に、ほんの
少しだけ隙間が生まれた。唖然として凍り付く僕と二人の間で、中学生ぐらいの女の
子が二人、一心不乱に踊っている。この娘たちは、恐くないのだろうか。 

 巡回中のすぐに警官たちがすぐに駆け付けて、有無を言わさず男を警棒で叩き伏せ
た。女のほうは羽交い締めにされ、二人とも引きずりながら連れ去られていった。実
に迅速な作業だった。周囲の人々は、何ごともなかったように踊り続けている。この
ほかにも、警官に引きずられていく気絶した男たちを何人も見た。

 きっと言い訳する暇なんてなかったんだろうな。気の毒だが、これだけ放縦な人々
の群の中では、いたしかたない。そうでもしないと最低限の秩序が保てないのだ。
カルナヴァル期間中の暴力は、それでも昔にくらべるとずいぶん少なくなったのだ
そうだ。人込みの中には目つきのおかしい奴も紛れ込んでいるし、痴漢行為を働いて
いる奴もいる。飲み干したビールの空き缶を人込みに向かって投げ付けるような不埒
な輩も目撃した。ぶつけられた人が、腹いせに近くに居るやつを殴り付けて喧嘩にな
る。僕も、何度かそういうのに巻き込まれそうになった。こっちも興奮しているので
自制心の敷居が低くなっており、「売られた喧嘩なら」と応戦したくなる。それを
辛うじて踏み止まれたのは、ぶつかった相手よりも警官隊のほうが恐かったからだ。

 期間中ずっと、制服を着た軍のMPと警察が五人ひと組で会場のあちこちを巡回し
ていた。彼らは目障りなぐらいたくさんいた。全員、ブラジル人とは思えないほど
いかめしい顔つきで、決して笑顔を見せなかった。そのせいで、完全に異物に見えた。
彼らが決して単独行動をとらないのは、そんなことをしたら、普段の恨みもあって
袋だたきにされかねないからだろう。

 誤解がないように付け加えておくが、普段のバイアーノたちは決して暴力的ではな
い。カルナヴァルの混雑の中でも、肘や肩がぶつかりあったりしたら、たいてい笑顔
で「ごめん」と謝ってくれる。ただ、そんな人込みの中に、日頃の鬱屈を晴らそうと
暴力を待ち望んでいる輩や、日ごろ女にモテないのでカルナヴァルの人込みに紛れて
女に触るのを楽しみにしている変態が少し紛れ込んでいるというだけのことだ。そう
いう連中はブラジル人らしくない、暗い目つきをしているので、注意していれば避け
られる。

 カルナヴァルは、パンドラの箱だ。聖なるものだけでなく、俗なるものも醜いもの
も、全てがありのままに露呈される。人間って奴は、ときにあまりにも俗悪だ。だが、
その醜さも、こんなふうにまっすぐ表現されてしまえば、いっそ清々しささえ感じて
しまうから不思議だ。

 海岸に降りて一息つきたくなった。砂浜に通じる階段は、男たちの立ち小便で水浸
しになっており、恐ろしい悪臭が漂っている。飛ぶように売れるビールの行きつく先
が、これだ。臨時の公衆トイレが設置されているが、そんなの女性しか利用しない。
期間中、このあたりの銀行や雑居ビルは頑丈な塀で囲われているが、その塀は全て
立ちションの標的となる。人込みのすぐそばで平気で放尿する男たち。その1メートル
横でも平気で踊る女の子たち。猥雑さの極みだ。

 しかし、さすがに海は清浄さを保っていた。路上はあれほどたくさんの人出なのに、
砂浜はかなり閑散としている。数組の家族連れがカデイラを借りて寛いでいる。踊っ
ているカップルもいる。ストリートよりも3メートルほど低いので、音楽も頭の上を
素通りしていく。風が、心地良い。

 ビール売りの少年がやってきた。「ビールは飲めない」と断わると、彼の元締めの
ところに行って「ガラナ(炭酸ジュース)」とコーラの缶を一本ずつ両手に掴んで持っ
てきた。「それじゃ、ガラナ」と指差して5ヘアウ紙幣を差し出すと、少年は二本の
缶を僕に渡そうとする。一瞬、ムッとした。こいつ、二本で5ヘアウ払えってのか。
1本1ヘアウが相場だぞ。

 そのやりとりを見ていたホームレスらしき男の子が、その二本の缶を受け取って
僕に何か話しかけてきた。恥ずかしい話だが、僕はちょっとだけ身構えた。ビール
売りの少年は、自由になった両手でポケットをまさぐり、4ヘアウを僕に渡して、
にっこり笑った。ホームレスの少年は、ガラナを僕に渡し、コーラを彼に返した。
それを受け取ったビール売りの少年は、次の客を見つけて砂浜を駆けていった。
僕は自己嫌悪に襲われた。

 ホームレスの少年が、僕を珍しそうに見ていた。僕は、いつも持ち歩いているペン
シルバルーンを取り出して、それを膨らませた。少年が、好奇心丸出しで見つめてい
る。その目の前で、犬を作って彼にプレゼントしてあげた。おかげで、自己嫌悪が少
し解消された。

 カデイラに座っていた家族連れがそれを見て、興味を示したようだ。小さな女の子
が、じっとこちらを見ている。僕もカデイラを借りて彼らの隣で少し休むことにした。
「それはどこで買ったんだ?」
父親が尋ねてくる。
「日本だ。」
「ってことは、あんた、日本人かい」
「そうだよ」
「そうかい。ようこそ、ブラジルへ。ところで、うちの娘がね...」
「わかっているよ。だから、ここに座ったんだ。」

 娘の見ている前で、今度はウサギを作ってやった。彼女も、すごく喜んでくれた。
通りがかった女性三人連れがそのウサギに興味を示し、あれこれ話しかけてきた。
彼女たちとしゃべっていると、次に通りかかった若者たちが近づいてきた。屈託の
ない笑顔で「俺たち男だけ五人でいるのにお前は一人で女を三人も独占するつもりか」
とか、そんなことを言っている。女性たちもそれに応戦し、なにやら盛り上がっている。
結局、彼らはナンパに成功したらしく、わいわい言いながら連れ立って去っていった。

 そんなことをしている間に、チンバラーダはキリストの丘の向こうへ行ってしまった。
だけど、今日はもう追わないことにしよう。カルナヴァルにはいろいろな楽しみ方があ
る。こういうのも悪くない。

 この日は、ときどき砂浜からメインストリートに上がってはイヴェッチ・サンガロ
やネッチーニョ、シクレチ・コン・バナナなどを楽しんだ。いずれも全国区の歌手や
バンドで、僕もCDを持っている。ビデオでは見たけど、生で見るのは初めてのこと
だ。ぼんやり堤防に寄りかかっていると、本物のスターたちがライブをしながら目の
前を通り過ぎていく。まったく、夢みたいだ。


2000年3月4日       
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