<ストリートパワー炸裂!>      
 
 
 もはやフラフラである。目が醒めても夢心地、足腰はガタガタ、朝のコーヒーを飲む
気力さえない。それなのに、おぼつかない足取りで路上に繰り出す。目の中では紫色の
貧血の印がちらちらと踊っている。それでも、部屋にこもってなんかいられない。
 カルナヴァルは今日が最終日で、水曜日の朝日が昇ったら歌舞音曲を禁止するという
のがキリスト教のしきたりなのである。
 とにかく、路上に出よう。路上には何か心ときめくものがあるはずだ。なにしろ、
バイーアのカルナヴァルなのだ。

 ふらふらと歩き始めた時、バーハのメインストリートの向こうからただならぬ熱気と
圧力が伝わってきた。太鼓の音が響く。スピーカーなしの、生の音だ。

 アハスタォン<突撃>だ。

 直径1メートルはあろうかと言う巨大なパンデイロ。直覚に折れ曲がった下水管(?)に
皮を貼った奇妙な太鼓。頭に赤い鳥の羽根をつけた、上半身裸の男たち。40人ぐらいが
演奏しながら全速力でこちらに向かって駆けてきた。先頭で、この異様な集団を導いて
いるのは・・・・やっぱり、彼だ。

 路上の英雄・ブラウン。率いられているのは、チンバラーダの別働隊「ザラビ」。
チンバラーダが全国区のバンドとしてヒットしたのに続いて、ブラウンによって彼の地元
カンヂアルで編成された新しい部隊だ。ほかにも、女性バンド「ボラッシャ・マリア」や
子供バンド「ラクトミーア」などの別働隊があるはずだが、残念ながら生で見たことはない。

 とにかく、ザラビだ。メジャーになったチンバラーダと違って、野生のエネルギーが
充満している。顔立ちも物腰も、芸能人には程遠い。汗にまみれた肉体労働者の筋肉が、
うなりをあげて目の前を通り過ぎていく。

 プログラムに載っていないどころか、マスコミの裏をかき、恐らくは運営サイドにさえ
無断で突如現れたこの軍団。追うカメラは一台もなく、大人たちは昼寝の時間なのか誰も
ついてこない。いや、彼らが全力疾走するので、その速度についてこられないのかもしれ
ない。

 お昼前のこの時間、路上にいたのは子供たちだけだった。子供たちは、ワァーッと歓声
をあげながらザラビのあとを追う。いや、大人が一人いる。奇妙な肌の色だ。
 ・・・・日本人か?よく見ると、Oさん宅にいた、スズキさんだった。日焼けしていない
肌が黒い肌の集団の中で妙に目立っている。
 ということは、僕もそうとう浮いているはずだ。案の定、彼も僕に気づいてそばにやって
きた。

 スズキさんに尋ねてみる。
「何なんですか、これ」
「俺もわかんない。突然現れたもんで、無我夢中でついてきた。」
「ブラウンが、ほら、すぐ目の前に。スズキさん、カメラ持ってます?」
「ええ。小さいのなら」
「撮ってくださいよ。いや、お撮りしますから、早く、そばへ行って」
慌ただしく言葉を交わせたのは、彼らが全力疾走を中断して路上でぐるぐる回っていたほんの
束の間だけだった。カメラを構える暇さえなく、再び全力疾走を始めたザラビ。走りながらも、
演奏は中断しない。

 子供たちが後を追う。二人の日本人も、あとを追う。あんなに疲れていたはずなのに、足が
軽い。なぜだか息も上がらない。そうだ、走るって気持ちのいいことだったんだ。少年時代、
例えば夏休みにカブト虫を取りに友だちと山道を駆けていたころのことを思い出した。

 ブラウンは突然走路を変え、カルナヴァル限定ホコ天区域の外に出た。路上の物売りやマン
ションの住人が身を乗り出し、歓呼の声で迎える。だが、どこにも留まらないで、ひたすら
走りつづける。巨大なパンデイロや下水管太鼓を叩きながらも、まったく速度を落とさない。

なんてタフなんだろう。

 子供たちの数が増えてきた。ほんとうに嬉しそうな顔をしている。映画「ロッキー2」の
一場面を思い出す。ブラウンは、間違いなく彼らのヒーローだ。
  路地を出て、再びメイン・ストリートを目指す。たどり着いた先は、キリストの丘だ。

 ザラビの面々は丘の斜面に整然と座って、ブラウンに香炉で浄められている。何の儀式
だろう?神妙な行事のようにも見えるし、単なるパフォーマンスのようにも見える。若い
女性の二人連れがブラウンに近づこうとして、スタッフらしき男に制止されている。
 僕もブラウンに近づきたかったけれど、自制した。下手をすると群衆にもみくちゃに
されるかもしれないというのに、こうやってゲリラ的に姿を現してくれたのだ。
 それにしても、あの濃いサングラスの向こうには、どんな眼差しが隠れているのだろう。

 キリストの丘で呼吸を整えたザラビの面々は、ブラウン総帥の合図で一斉に立ち上がり、
キリスト像のまわりをグルグル回りながら演奏を加速させていった。そして、爆発するか
の勢いで、再び路上に駆け出した。突撃再開だ。車両通行止めゾーンを突破して、バス路線
を駆け抜ける。
 たちまち車が渋滞し始める。運転手たちは窓から身を乗り出し、ザラビに声援を送る。
クラクションを鳴らしても、迫力ある演奏に掻き消されてしまう。

 ザラビは渋滞の隙間を縫って走りつづける。
 スズキさんが「俺はここまで。」と言って群れを離れた。子供たちも、もうついてこられ
ないようだった。一体、この人たちはどこまで走りつづけるのだろう。見届けたい。手ぶら
で走っている僕が、重い楽器を演奏しながら駆け抜けていくザラビに置いて行かれるわけに
はいかない。歯を食いしばって追いつづける。やがて、彼らはバス通りを外れてカンヂアル
に続く坂道を駆け上がり、丘の中腹で立ち止まった。

 ブラウンがなにか短い言葉を発して、ザラビの面々が「ウォー!」と声を挙げて応じる。
そして、空気が弛緩して、笑顔がこぼれる。隊列が崩れ、それぞれの楽器を抱えた男たちが
笑顔で立ち去っていく。それぞれのリズムで演奏しながら去っていく奴もいる。その笑顔は、
バイーアのどこででも見られる、ごく普通の庶民の顔だ。

 ばらばらと解散してゆくメンバーを見送りつつ呼吸を整えている僕のすぐそばに、ブラウン
がいた。
 バイーアの巨星が目の前にいる---トリオの下から見上げた時には、そんな気持ちだった。
だが今は、僕と同じ年(37才)の一人の男として、等身大のブラウンを目にしている。
 僕と彼は、地球の反対側で同じ長さの歳月を過ごしてきたのだ。そして今、こうして向かい
合っている。ほんの数秒の出来事だったかもしれないが、僕は彼の過ごしてきた歳月の重さを
感じ取ることが出来た。

 ブラウンは人々に喜びを与え、夢を与え、誇りを与え、しかも仕事まで与えてきた。生まれ
育ったファベイラ(貧民街)の道路をなおし、下水道を整備し、学校を作った。身銭を切って
買い集めた楽器を地元の若者たちに与え、有り余る才能を惜しみなく注ぎ込んでチンバラーダ
を結成した。そうして、ただのファベイラの住人だった彼らを率いてまたたく間に全国制覇を
成し遂げた。
 カンヂアルの人々は、自分の街を誇りに思ったことだろう。彼らの活躍を知ったブラジル中
の貧しき住人たちは喝采を惜しまなかったはずだ。

 ブラウンは「反骨だけの人」では決してない。ファベイラの住人を見下してきた金持ち連中
にも、ストリートに生きる人々と共に未来を築くよう呼びかけている。自らの才能ひとつで頭
角をあらわしてきたブラウンには、上流階級の人々もトリコにする力があった。
 彼の発想は一見奇抜にも見えるが、いつも時代を一歩リードしている。あの、カンヂアルの
泥濘から生まれてきたチンバラーダが世界中でツアーを行ない、やがては民族融和のシンボル
になってゆくなんてこと、一体だれが予想しただろうか。

 この街はとてつもなく魅力的だ。その大きな理由の一つが、ブラウンがこの街にいるという
事実なのだ。ブラウンが我々のそばにいる。それだけで、人々は幸せを感じるだろう。

 今、この瞬間も、ブラウンはこの街の民衆に喜びや、夢や、生きる指針を与え続けている。
 
 僕が親元でぬくぬくと暮らしていた少年時代、彼は路上で働いていた。ゴロ寝してテレビ
なんかを見ているときにも、彼は世界中の人を酔わせる曲を書き続けている。名声を得てから
の彼は、音楽の枠組を越えて社会活動家・思想家として社会に君臨している。
 
 ブラウンの人生を前にすると、僕の人生なんてゴミみたいなものだ。何の役にも立っちゃ
いない。その事実を、はっきりと受け取った。こんなふうに感じ取ることができたのは、
ミュージシャンとしてのブラウンではなく、素顔のブラウンと向かい合えたおかげだろう。

 サングラスの向こうの瞳が、僕の姿を捉えたようだ。僕は、右手で親指を立てるポーズを
決め、エールを送った。心の中で、
「アンタ、最高に素敵だよ。アンタと同じ時代に生まれたことを、心から幸せに思うよ。」
と呟いた。
 ブラウンも、同じように親指を立てて、僕にエールを送ってくれた。そして、少し首を
かしげて、小さく微笑んでくれた。
 
 握手を求めれば、応じてくれただろう。でも、これで充分だ。これ以上のことは求めない
でおこう。


2000年3月7日(ter.) 
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