<灰の水曜日>      
 
 
 カトリックのしきたりでは、水曜日から肉食を断ち、イエスの行なった苦行に想い
を馳せることになっているそうだ。禁欲の日々の前に、肉(カルネ)をたらふく喰って
どんちゃん騒ぎする、というのがカルナヴァルの起源だとかなんとか。
 従って、水曜日の日の出以降に歌舞音曲を楽しむことはタブーであり、教会から
大目玉を喰らうことになっているらしい。そんなわけで、水曜日にカストロ・アル
ヴィス広場で朝日を迎えつつ合唱し、カルナヴァルを終えるというのが恒例となって
いたという。

 それをはぐらかすかのように、水曜日のアハスタォン<突撃>を実行したのが、我らの
英雄カルリーニョス・ブラウンだ。教会筋はいたくご立腹だったらしいが、バイーアの
民衆はこぞって彼を支持した。結局、本来は禁忌であるはずの水曜日の突撃は、今では
バイーア独特の名物行事となりつつあるらしい。
 ブラウンは、きっとカレンダーを民衆の手に取り戻させたかったのだろう。あるいは、
ただ単に人々を楽しませたかったのか。

 しかしながら、ゲリラ的なアハスタォン<突撃>は、予想を裏切って昨日の昼間に実行
されてしまった。とすると、今日はいったいどうなるのだろう。
 プログラムには、当然のごとく火曜日までのことしか書かれていない。

 とにかく、街に出てみよう。メイン・ストリートに行けば、なにかわかるだろう。

 しかし、海岸沿いの道は閑散としていて、人出も多くない。音楽も、申し訳程度に鳴り
響いているだけで、踊っている人もほとんどいない。僕が眠っているうちに、すべてが
終わってしまったというのだろうか。

 灯台のあたりに、かなりの人が集まっている。見慣れない形のトリオが待機しているの
が見える。まるでロケットのようなデザインだ。それを取り囲むように、百人程度の若者
が所在なげに集まっている。なぜか、みんな路上にへたばっていて、中には道の真ん中に
寝そべっているグループもある。
 朝9時過ぎだというのに熱帯の太陽が容赦なく照りつけ、アスファルトは触ると熱いぐ
らいに焦げついている。
 よく見ると、男たちはお互いの腹の上に頭を載せ、Tの字をふたつ組み合わせたように
して四人ひと組で、オランダの風車みたいなかたちで眠っていた。いいアイディアだ。

 人々は、一様に疲れ果てていた。
 ゆうべは午前3時過ぎまでいつも通りの騒ぎだったのだが、トリオが出払った後も、
帰らずにうろついている若者がたくさんいた。何かあるのかと思って僕も残っていたけど
結局4時頃にホテルに戻った。 後で聞いた話では、僕が引き上げた後でダニエラ・メルクリ、
カエターノ・ヴェローゾ、ブラウンたちが現れて、朝まで大いに盛り上がったそうだ。
女王ダニエラにいたっては、オンジーナまで行進した後で、信じられないことにコースを
逆走してスタート地点(灯台前)まで戻ってきたのだという。
 なんという破格のエネルギーだろう。そして、それに付き合ったバイーア衆も、ただもの
ではない。
 しゃがみ込んだり路上で眠ったりしながら、最後のひと暴れの機会を待っているのは、
それに参加していた徹夜組にちがいない。僕にはとても真似が出来ない。

 少しずつ、人々の数が増えていく。街が静まり返る「灰の水曜日」のはずなのに、何か
が行なわれると信じて、あるいは、カルナヴァルの終焉を受け入れることができずに、こ
の場所に吸い寄せられて来た人々。ちょっぴり切ない空気が漂う。

 やがて、ロケット型のカエタナヴィ号が動き始めた。ブラウンに率いられたチンバラーダ
の精鋭部隊が、そのうしろを固めている。今日はトリオの上ではなく、群衆とともに路上を
行進している。しかも、ロープマン抜きだ。通りにいたすべての人々が、狂ったように踊り
ながら後を追う。

 あっという間に黒い肌の若者たちの密集が生まれ、僕はその渦の中に飲み込まれてしまった。

 なんという熱さだ。前後左右から汗が飛び散ってくる。体をぴったりとくっつけたまま、
人々が飛び跳ね、叫び声を上げる。それを掻き消す強さで、太鼓が打ち鳴らされている。
飛び上がると、チンバラーダの背中が向こうに見える。揺れ動く黒い固まりの向こうから、
生の太鼓の音が届けられる。たちまち群衆のボルテージが頂点に達する。
 熱湯の中に放り込まれたようなアツさ。酸素が足りない。足の踏み場もない。絶え間なく、
誰かと体がぶつかりあう。ぶつかる度に、屈強の肉体をした若者たちに弾き飛ばされる。
倒れずに歩き続けるのがやっとで、踊る余裕なんて微塵もない。

 今日はロープマンだけでなく、警官もいない。このまま圧し潰されて踏みつけられても、
誰も助けてくれないだろう。カルナヴァルという甘美な果実。その最後の一滴を貪るかの
ように燃えたぎる、筋肉の塊。もう、限界だ。呼吸が苦しい。酸素。酸素がほしい。

 酸素を求めて、群衆の外に出る。怒涛の群れが、僕を置き去りにする。深呼吸をしながら
後を追おうとしたが、心のどこかから「もう十分だろう」という声が聞こえてきたので、
キリストの丘のところで足を留め、見送ることにした。

 熱いエネルギーの塊がオンジ−ナに向かって去っていく。それを丘の上から見つめていると
ハーメルンの笛吹き男の伝説を思い出した。このまま彼らが異次元空間に吸い込まれて消え
去っても、納得してしまいそうな不思議な空気が漂っている。
 聖なる行進だ。あんなに熱い塊の中に自分がいたなんて、とても奇妙な感じがする。まだ、
夢の中にいるみたいだ。
 彼らを見送った後には、「空虚」だけが残された。

 ホテルへの帰り道。路上には、ほとんど人影がない。前を歩いていた一人の若者が、突然
両手を天に突き上げて、大声で叫んだ。
 「Acabou Carnaval!!」 (カルナヴァルが終わっちまったぜ)
切なくなるような叫びだった。
 同時に、人々が去ってしまった後のメインストリートを一台の清掃車が通り抜けていった。
聖なる空間に「日常」が侵入していく。魔法が解けて、生活の場が戻ってくるのを感じる。
 ほんとうに、終わってしまったんだなあ......

 あの若者は、来年のカルナヴアルを夢に見ながら、一年の日々を過ごすのだろう。つらい
時には、濃密に燃え上がった今年のカルナヴァルの日々を思い出して、一日をやり過ごすの
だろう。彼だけでなく、この街のすべての人々が。

 カルナヴァルは終わった。
 まるで、世界そのものが終わってしまったかのような空虚さがあたりを覆っていた。


2000年3月8日(qua.) 



追記 : 最後までおつきあいくださって、ほんとうにありがとうございました。これで、僕の
   カルナヴァル体験記はすべて終わりです。
    タイトルに用いた「アシェー」というのは、アフリカから伝えられてきた言葉です。
   「生命の力」とでも訳せばよいのでしょうか。詳しく説明するためには、長い物語を
   書かねばならないでしょう。(別項にて、目下執筆中)

    本文中でも触れたように、このHPの管理者であるルナさんとはバイーアで出会い
   ました。彼女に勧められてこの文章を書き始めたのですが、自分の体験を文章にまと
   めることは思いのほか難しく、書き上げるのにずいぶん時間がかかってしまいました。
    書いているうちに当時のことを生々しく思い出して体がアツくなってきたり、涙が
   あふれてきたりしたことも、たびたびありました。
    文章にすることで、口でうまく話せなかったことも多少は伝えられるようになったと
   思います。何度も挫折しそうになりましたが、作成途上でアップした拙い文章を読んで、
   多くの友人たちが僕を励ましてくれたおかげでここまでこぎつけました。感謝します。
    他所者にすぎない僕を暖かく受け入れてくれたすべてのバイーアの人々(特にOさん
   サンドラさん)、最初に僕にバイーアの魅力を教えてくれた三宅君、Muito obligado!!
    そしてルナちゃん。いい機会を与えてくれて、本当にありがとう。

                           written  by  "AXE junkie"
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