AXE ZANMAI

2000-02-29

ネギーニョと再会

 朝、サンダルをはいてバーハの海岸を端から端まで歩くことにした。カルナヴァル
が始まったら、そんなふうに海辺で過ごせないかもしれないし。

 まずは、灯台の中を見物する。博物館になっていて、ちゃんと入場料もとるが、展
示品に大したものはなかった。古い地図が興味を引くぐらいで.....と思っていたら、
ズン!! と腹に来る絵が一枚、さり気なく飾られていた。奴隷を運ぶ船の中に、丸太を
並べるみたいに詰め込まれた黒人たちの配置図だ。効率的に運ぶために、一人ごとに
頭の方向と足の方向が逆になっていて、それが船艙の隅から隅まで続いている。

 街で見かける美しい肌をしたバイアーノ・バイアーナたちの何代か前の親たちが、
こんなふうに運ばれてきたとは....

 展望台の景色が良かったこともあって、思いのほか長く滞在してしまった。海岸に
おりると、既に日射しは堪え難いほど熱く、意識を混濁させる。そして、美しき褐色
の美女たち.....

 波の音、椰子の樹、降り注ぐ陽射し。

 カデイラとソンブレロを借りて、短パン・Tシャツ姿でくつろぐ。
 もう最高。トロピカル三昧だ。
 子どもたちが水辺を駆ける。褐色の肌に海水が光る。僕も、泳ごう!!

 海水は、思っていたよりずっときれいだった。

 あまり急に陽に当たると火傷が恐いので、ほとほどに切り上げて、昼寝することに
する。その前にsuco de fabricaに寄って新鮮なジュースを飲みながら店員とダベる。

 バイーアが体にしみ込んできた。いい感じだ。
日中のモワーッとした空気の中を歩いて、濃く繁った熱帯の木々を眺めながらホテルに
帰り、冷たいシャワーを浴びてまどろむ。

 至福のひとときだ。幸せが、体の隅々をゆったりと浸していく。
 目が醒めると、夕刻の心地よい風が吹いていた。

 日暮れ前のペロリーニョ。今日は、ネギーニョにお土産を渡すためにやってきたの
だが、はたして会えるかどうか。DIDAの事務所前で待つが、どうも人が出入りする様
子がない。しばらく待ったがあきらめて、ペロ界隈を散歩する。この街は、何度歩い
ても飽きない。

 ちょうど建物の反対側にまわったところで、声をかけられた。DIDAのメンバーの
一人が、僕を見つけてくれたのだ。思わず声をあげて近づいていくと、見知った面々
が次々に現れ、僕を歓迎してくれる。彼女たちは、髪をアフロ風に入念に結い上げて
いる最中だった。もちろん、カルナヴァルのためのオシャレなんだろう。よく見ると、
ここの美容室はDIDAが買い取って経営しているようだ。そして、事務所兼音楽スクー
ルの入り口は、こちらにもある。反対側でいくら待っても誰も出てこないわけだ。

 美容室には、バイーアを代表する作家・ジョルジ=アマードの等身大(?)の人形が
置かれていた。

 DIDAの姉さんたちと会話を試みる。そこそこ通じるのだが、去年までまったく話せ
なかった僕の、一年間のポルトガル語の勉強の成果を誰も誉めてくれない。会話が通
じるのが当然のような感じで受け止められて、ちょっと複雑な気分だ。

 彼女たちにもお土産を渡す。人数が多くて、何人いるのかわからなかったので、皆
で分けられるように、星や月を形どった夜光性のシールを持ってきた。本当は太鼓に
貼ってほしかったのだが、その場でその辺に貼られてしまった。まあ、いいか。

 彼女たちは、それよりも去年作ってあげた風船の犬やウサギがほしかったようで、
「あれはないのか」と求められてしまった。もちろん、持ってきている。本当は子供
たちにあげるつもりだったけど、一人に一つずつ作ってあげた。ブラジルの大人たち
は、こういうのが好きなようだ。

 それを見た美容室の客やら美容師さんやらが「私にも」「うちの子にも」と、つぎ
つぎに要求してくるのには閉口したが、できるだけ応じてあげた。最近、ネギーニョ
が力を入れている子供バンド「SODOMO」のメンバーも、練習の隙を見て、もらいに
来る。そんなときは、なるべく子供を優先させて作ってやる。小型ポンプしか持って
いなかったので、かなり疲れた。が、やはり、良いことはすべきである。

 そうやって待っているうちに、ネギーニョが現れた。ちゃんと僕のことを覚えてい
てくれて、握手を求めてくる。(しかし、なぜ彼はいつも僕に手厚くしてくれるのだ
ろう。いまだに謎である)
「ネギーニョ、また来たよ。今日はお土産があるんだ。去年の夏、タンザニアへ入っ
 た時に買ったアフリカのタペストリーなんだけど。それから、ママディ・ケイタの
 ビデオもある。ギニアのジャンベ・マスターなんだけど、知っているかな?」
 さすがは世界的ミュージシャンだ。「ジャンベフォラ」のパッケージを見ると「お
お、これはいい」と喜んでくれた。テレビ番組の録画じゃなくて、市販のものをわざ
わざ買ってきた甲斐があった。

「いま、ちょっと手が話せないんだけど、手が空いたら呼ぶから、事務所においで。
 ゆっくり話そう。」
 そんなふうに言ってくれたが、僕のポルトガル語で話せることなんて限られている。
ああ、ちゃんと喋れたら、聞きたいことは山ほどあるのに。

 でも、せっかくなので「じゃ、しばらくここに居るよ」と答えておく。そして、美
容室に来ているお客さんの子供たちと遊びながら、彼が再び出てくるのを待った。
(帰国後、NHKの特集を見て分ったのだが、この頃彼は資金難のためにカルナヴァル
に参加できるかどうかの瀬戸際に立たされていて、金策に駆け回っていたらしい)
 やがて美容室が閉まる時間になり、子供たちは母親につれられた帰った。そのあと
しばらく、一人でネギーニョを待った。さすがに待ちくたびれたが、黙って帰るのは
まずいと思って待ち続けた。約束をしてから二時間ぐらい後で、ネギーニョがようや
く下りてきた。疲れているようだ。彼の多忙を気づかって、
「忙しそうだね。僕も、晩ご飯を食べたいし、そろそろ帰るよ」
と告げて立ち去ろうとしたのだが、
「食事が済んだら、またおいでよ。仕事が片付いたら、ゆっくり話そう。今から出か
 けるけど、すぐに帰るから」
と真顔で言う。

 カルナヴァル直前だし、そうそう仕事が片付くとは思えないが、そんなふうに言っ
てもらったら立ち去りがたい。とりあえず、前回、毎晩のように食べに行ったジェイ
ズス広場のそばの「眼鏡のおばちゃんの店」へ行く。ここの定食は安くてうまいし、
おばちゃんも味があるのだ。

 が、なんと、ここはキロ(カフェテリア方式の食堂/目方単位で支払うので、キロと
呼ばれる)に変わっていた。味は衰えていなかったけど、ちょっとさびしかった。

 食事の後で、またしばらくネギーニョを待つ。なかなか出てこない。そのうち、SO
DOMOの女の子たちが太鼓を持って路地に出てきて、整列した。たちまち観光客に囲ま
れる。DIDAの指揮をしていた、アフロっぽい化粧の似合うお姉さんがここでも指揮を
していた。子供たちの技術は、やはりDIDAの正式メンバーには及ばないが、それでも
十分に楽しめる水準だった。

 バイーアの多くのバンドはこのようにして公開の場--というか、要するに路上--
で演奏し、観客の視線に晒されてミュージシャンとしての意識を高める。ペロリー
ニョ界隈では、毎晩いくつものバンドがそうやって腕を磨いている。そしてそれは、
そのまま観光資源になるのだ。今では女性バンドの代表格となったDIDAも、そう
やって一歩ずつ成長していったのだ。

 子供たちはひとしきり演奏して拍手喝采を浴びた後で、またスクールに引っ込んだ。
指揮のお姉さんに「ネギーニョは中にいるの?」と聞くと「まだ帰ってこない」との
こと。

 その後NHKの取材班の人たちも彼を探しに来たが、所在がつかめないので帰って
しまった。彼らの話では「こんなことはここでは日常茶飯事。リップサービスだと
思って諦めて帰った方がいいですよ」とのことだった。

 ネギーニョの誘いは「京都のぶぶ漬け」みたいなものだったのかもしれない。
 確かにこの街の人は、道を聞いた時など、失望させたくなくて適当な道を教えてく
れたりする。悪気があるのではなくて、目の前の人間が喜ぶ顔が見たくてついつい嘘
を言ってしまう傾向があるようだ。二年前にも、カンヂアルを訪れたのにブラウンに
もチンバラーダにも会えなかった(彼らはツアーに出ていた)僕と相棒を慰めるように、
近所の人たちが「今度の日曜日にボンフィン教会の前で演奏するかもしれない」など
と教えてくれたことがある。
 (結局ガセネタだったけれど、おかげで教会の横の芝生に寝っ転がって南国気分を
 たっぷり味わうことができた)

 今回も、結局ネギーニョには会えなかった。でも、待っている間に「マルコムX」
というバンドやら以前「はるばると世界旅」という番組で紹介されていた、SODOMOと
は別の子供バンドやら、たくさん観ることができた。火曜日ということで、テレーザ・
バチスタ前には大勢のファンがOLODUMを待ち受けていた。路上まで鳴り響く音色に
耳を傾けつつ、ネギーニョが抜けたあとのOLODUMはますますポップ化の傾向を強め
ているな、と感じた。

 今回はバーハに宿をとったせいでこれまでみたいにペロに居着くことができなかっ
たけれど、この夜だけはたっぷりとペロ気分を味わった。

 明日から三月。いよいよカルナヴァルがやってくる。

2000年2月29日
                      

2000-02-28

カエターノのライブ

 ホテル・ベラ・バーハの朝食は、イマイチだった。

 ホテル・ペロリーニョの見晴しの良い食堂と豪華な朝食とは比べ物にならない。そ
んなわけで、ペロリーニョが恋しくなって、朝食後すぐに足を運ぶ。が、これは失敗
だった。ゆうべのオロドゥンで盛り上がったはずのペロは、まだ眠りから醒めておら
ず、そこはかとなく寂しい空気が漂っていた。

 メルカ・ド・モデーロも同様だった。月曜の朝に出向くべきところではない。そん
なことさえ予想できずに朝から歩き回った自分が情けない。まだまだこの街に馴染ん
でいない。

 ただ、去年仲良くなった売り子のジョイは僕とミヤケ君のことを覚えてくれていて、
一緒にとった写真をあげるとすごく喜んでくれた。
「滞在中に、ぜったいもう1回来いよな。写真のお礼に、お土産を準備しとくよ」
相変わらず、ナイス・ガイだ。

 昼頃、ホテル予約の件でお世話になったことのお礼かたがた、日本から持ってくる
よう頼まれていた荷物を渡すためにOさんのアパートを訪ねる。去年の「ママ・アフ
リカ」のビデオを見せてもらいながら昼食をごちそうになり、音楽談義に耽る。Oさ
んの話では、今年はモライス・モレイラのトリオが狙い目なのだそうだ。さらに、耳
寄りな情報をゲットした。今晩8時からペロのプラッサ・ド・ヘギでカエターノのラ
イブがあるというのだ。Oさんは現地の人よりもこういう事情に詳しい。

 午後の時間は、両替えや買い物をしているうちに過ぎてしまった。洗濯用の洗面器
とバスタオル、それにサンダルを買うだけなのに、えらく手間取ってしまったのだ。
まだまだ、現地の空気に馴染んでいない。

 街に馴染むためには、何よりも現地の人と言葉を交わしてみることだ。そこで、比
較的若い店員が多くいる店を探して、ジュースを注文して座り込んでみる。店の名前
は「fabrica de suco(ジュースの工場)」。その場で果物をジュースにしてくれる。
この街は果物の宝庫なのだ。

 案の定、興味深々の店員たちが、仕事そっちのけであれこれ聞いてくる。僕にとっ
ては、一年間通ったポルトガル語教室の成果を試すチャンスだ。
「どこからきた」「名前は何だ」「バイーアは好きか」・・・
好奇心の赴くままに、何でも聞いてくる。こっちが理解しているかどうかに関係なく、
仲間うちで僕のことをネタにして楽しんでいる。

 チンバラーダが好きで、この街へ来たこと。ブラジルを訪れるのは三回目だが、カ
ルナヴァルは初めてだということ。バイーア以外の街には行ったこともないというこ
と。ブラウンをこの目で見るのが楽しみだということ。・・・
 拙いながらも気持ちは通じたらしく、「ヨシ、お前は俺達のアミーゴだ。明日も来
いよ」と言われる。なかなかの収穫だ。

 会話が弾めば行動力も増してくる。軽やかな足取りで、再びペロを訪れる。夕暮れ
に包まれた石畳のストリートは、どこか祝祭的な喜びに満ちている。

 人々のざわめき。あちこちから聞こえてくるパーカッシブな音楽。美しき褐色の肌
の女性たち。笑顔。おお、これでこそ、ペロだ。

 一昨年と去年は、ずっとペロリーニョに泊まっていた。一日に一回以上スコ・ジ・
ラランジャを飲みに通っていた店に行って、いつもジュースを作ってくれていた兄ちゃ
んに去年撮った写真をあげる。彼も、僕たちのことを覚えてくれていた。ジュースも、
相変わらず絶品だった。

 カエターノのライブの切符を確保する。たったの5ヘアウとは、信じられないほど
安い。日本でライブをやったら、20倍ぐらいするだろうに....ライブの開始まで一時
間ぐらいあるので、DIDAの事務所兼音楽スクールのところに寄ってみる。

 ネギーニョはおらず、バンドの姉さんたちもいないようだった。しばらく様子を見
ていると、日本人らしき男がやってきて、近くに腰を下ろした。報道関係者のようだ。
「取材の方ですか?」と声をかける。
「もう、まったく、こっちの人は時間を守ってくれないんで困っちゃいますよ」
と愚痴を言いながらも微笑んでいる。少しして、テレビカメラと音声機材を抱えた男
がそれぞれ一人ずつやってきて、同じように路地にしゃがみ込む。
「こちら、日本から来られたそうですよ。」
などと紹介され、おごってもらったカフェジーニョを啜りながらあれこれ話す。

 彼らは、ネギーニョと彼の子供バンド「SODOMO」を取材しているそうだ。もう、
かれこれ一月近く追跡しているという。今宵はここでネギーニョを待っているのだが、
いつ来ることやら....と手持ち無沙汰な様子だった。

 僕もカエターノのライブまで、時間つぶしなんですよ、ということで、バイーアの
魅力について語り合う。
「嬉しいなあ、僕たちの伝えたいことを全部分ってくださるなんて」
と、天下のNHK職員に似合わず庶民的で好感の持てるクルーだった。

 彼らがレポートの主人公に選んだマルシオという名の少年を紹介してもらった。す
ごくシャイな男の子だ。旅先で子供にあった時はいつも風船を使って犬やらウサギや
らを作ってあげるのだが、今日はライブの時に踊るのに邪魔になると思って持ってき
ておらず、代わりにお手玉でジャグリングを披露してみせた。それまでその辺で追い
かけっこをしていた子供たちがワッと僕を取り囲み、貸してあげたお手玉で真似をし
ようとする。

「子供が子供らしいのって、見ていてなごみますよね。彼らがたくさんの問題を抱え
ているのは知っているつもりだけれど、彼らは、自分の感情の在り処を知っているぶ
ん、日本のある種の子供たちよりも救いがあるような気がする」
三十代半ばの取材班の人たちは、僕のつぶやきに同意してくれた。と、そこへ、一人
の少年が煙草をねだりにやってきた。
「だめだめ、煙草はダメだよ」
と言いながら、一筋縄じゃ行かないよね、と苦笑いする我々であった。
「そろそろカエターノのライブが始まるんで.....。取材、大変でしょうけど、頑張っ
てください。放送を楽しみにしています」
「また、どっかで会いましょう」
短い時間だったけれど、とても良い出会いだった。
ペロの薄暗い路地裏で、僕は旅の感覚を取り戻しつつあった。

・・・・・

 プラッサ・ド・ヘギはペロリーニョ広場を下ったところにある。

 一昨年の暮れにオープンしたばかりのこぢんまりとしたバーで、奥の方に小さなス
テージがある。こんなところに、国民的ヒーローであるはずのカエターノが現れるの
か? ちょっと信じがたい。ステージはずいぶん高く、どんなに混雑しても目が届く
ように設計されてある。

 手前のアリーナはビニールの紐で囲まれている。

 ビニールの紐のところに、日本人らしき一団が陣取っていた。

 以前は、日本人を見ると敢えて避けたりしていたものだが、最近は気にならなくなっ
た。日本人だろうか地元の人だろうが、関係ないと思えてきたのだ。どうせ、開演ま
で長いんだから、雑談でもして時間をつぶそうと思い、そばに座らせてもらった。

 隣にいた日本人観光客らしき女の子に話しかけてみると、なんと、僕が卒業した大
学の学生だった。今までいろんなところを旅してきたそうだが、ブラジルは初めてら
しい。

 彼女はルナと名乗った。Lunaはローマ神話の月の女神を意味するのだか、形容詞
化されて"lunatic"となると、「狂気の」という意味になる。冗談混じりに「それって
lunaticのルナ?」と意地悪を言ってみると、にっこり笑って「そう。だからルナなのよ」
と答える。一人で南米を旅するような女の子は、やはり個性的だ。
(この時は、後にこうやって彼女のHPに寄稿することになるなんて思いもしなかった)

 彼女は、カエターノの名前さえ知らなかった。

 どんどん人が増えてくるが、なかなか始まらない。まあ、ここはバイーアだから、
当然だ。やがて、ファンファーレが鳴り響き、どこかのブロッコが太鼓とホーンをか
ざして入ってきた。アリーナの、テープの向こう側に陣取ってひとしきり演奏する。
見たことのないグループだし、正直言って、決して上手くない。彼らが引き上げた後で
ダンサーたちがアリーナに整列した。

 突然、満員の開場がワッと沸き立った。

 何だろうと思って見回すと、カエターノがアリーナに下りてきた。とたんにテレビ
カメラやマイクに囲まれ、カメラのフラッシュを浴びている。小柄な身体から、神々
しいまでのオーラが滲み出ている。 オーディエンスから敬愛のこもったため息がもれる。

 以前ジーコに会った時にも似たようなオーラを感じたが、神経質そうに見えたジー
コと違って、カエターノは飄々としていて、心からリラックスしているように見えた。
天界から降りてきたばかりの天使は、たぶんこんなふうに微笑むんだろうな、と思っ
た。天使は、若いダンサーたちの踊りを見るために、僕と同じ最前列(というか、我
々は椅子にありつけなくて地べたに勝手に座っていた)の、3メートルぐらい右側に座っ
た。

 パーカッション部隊の音楽に合わせて、褐色の肌の若者たちがアフロ風の踊りを披
露する。慣れている目で見ると、バイーアでは普通の水準のように思える。でも、バ
イーア初体験のルナは目を輝かせて見入っている。僕の中から新鮮さが失せたのかな、
とちょっぴり悲しくなった。

 ダンスがおわって彼らが退場し、ビニールテープが解かれると、アリーナに人が
殺到した。何しろ特等席だ。というか、ここは席がないぶん、存分に踊れるのだ。
前座のバンドが聴衆を煽り、人びとが揺れ動く。汗が飛び散る。まさに、バイーア状態だ。
僕も、「押しくら饅頭」
状態の中でおずおずとステップを踏んで、身体をバイーアモードに切り替えようと試みる。
少しずつ、身体と心が熱くなってくる。

 しかし、バイーアの空は無情だった。しょぼしょぼと降り始めた雨がしだいに強く
なり、カメラを持っていた連中が廂の下に退避する。アリーナのあたりは天井がない
ので、急激に人口密度が減った。何人かいた日本人観光客は、みんな退避したようだ。
僕より早く激しくノッていたルナも、後ろに引っ込んだ。人の波が引いて、ぽっかり
とスペースが生まれた。このとき、頭の中がスパークした。

 ここで踊らなきゃ、バイーアに来た意味がない。スペースもできた。バンドは演奏
をやめない。雨が、ちょうど身体を冷やしてくれる。僕たちが踊れば、バンドの音は
生き返る。アリーナを生き返らせるんだ。

 土砂降りの中、思う存分にステップを踏んで身体を揺らす。気持ちいい。やっと、
バイーアの鼓動を掴んだぞ。体じゅうから勇気と喜びのエネルギーが沸き上がってく
る。アシェーだ。これこそ、アシェーだ。

 ルナが雨の中に飛び込んできて、僕のそばで同じようにハジけている。いったん引っ
込んだ連中も、雨のアリーナに戻ってきた。いいぞ、いいぞ。これこそバイーアだ。
雨の中を狂ったように踊りまくる聴衆に煽られて、ドラムの音が激しさを増す。濡れ
たTシャツから湯気が立ち上る。もう、雨なんて恐くない。

 笑顔が揺れる。皆、とびっきりの笑顔だ。

 目が合うと、みんなニッコリ微笑んでくれる。きっと僕も、あんなふうにいい笑顔
をしているのだろう。だから、僕と目が合うと、みんなが笑顔を向けてくれるんだ、
きっと。

 言葉なんかいらない。みんな、友だちだ。肌の色も国籍も飛び越えた、確かな連帯感。
 ブラジルにカルナヴァルが存在する理由の一つが、この感覚を共有して無意味な対立
や殺戮を避けたいという願望にあるのではないか.......などとは踊っている最中には考え
なかった。

 時間が消えた。

 雨がやんだのと、カエターノが再び姿を現したのと、どちらが先だったか覚えてい
ない。その前に、アート・リンゼイがノイジーな音色のギターを弾いていたような気
がする。

 とにかく、天使が再び舞い降りてきて、そっと囁きかけるように、歌い始めた。

 人びとを至福に導く声だった。

 次の日、偶然会った日本人の二人連れに声をかけられた。
「昨日、カエターノのライブで踊ってたでしょ。ニュースで見たよ」

2000年2月28日



2000-02-27

三度めのバイーア

 午後2時、空港到着。あいにくの雨。じっとりとした熱気に包まれ、楽園到着を実感。
空港内はいつもより多くの人で賑わっている。カルナヴァル前だからだろう。ロビーにい
くつかのブロッコが宣伝ブースを構えている。ブロッコに参加するための申し込み窓口に
なっているようだ。
 
 去年の写真がたくさん展示されている。受付の女の子がにっこり微笑んでくれたが、
片道40時間のフライトのせいでいささかぐったりしている僕は、先を急いだ。
 
 バス停のひさしの下で雨垂れを避けながら待つこと約30分、セントロ行きのバスが
やってきた。今回はボストンバッグ持参なので車体横のトランクに積み込まなければ
ならない。裸足の少年二人が奪うようにして僕のバッグを押し込み、チップをねだる。
ちょっと迷って、50センターボあげた。笑顔で手を振る少年たちをあとに、出発。
 前回までと異なり、相棒のミヤケ君がいない。そのため緊張しているのか、バーハ
までの道のりがやけに長く感じられた。
 
 現地在住の友人であるOさんが予約してくれていたホテル・ベラ・バーハに投宿し
た。カルナヴァル直前の到着ということで相当の出費を覚悟していたのだが、ここは
普段は一日15ヘアウという安さ。エアコンもテレビもない狭い部屋だが、どうせ寝る
時以外は用がない僕にはぴったりだ。
 もっとも、カルナヴァル期間中は一日50ヘアウにまで値上がりするのだが、それは
どこのホテルも同じこと。もし、どこも満杯だったら、路上で夜明かしすることさえ
覚悟していたのだ。期間中、ずっと部屋が確保されているというだけで充分だ。
 
 ここを選んだ理由の一つは、中国人のホベルト・チャンさんが経営しているという
ことだ。僕はポルトガル語はほんの片言しかしゃべれないし、 英語も大してうまく
ない。しかし、むかし台湾に住んでいたこともあって、中国語ならそこそこ話せる。
そんな僕にとってここは非常にありがたい環境なのである。ホベルトさんも中国語で
挨拶する僕を喜んで迎えてくれた。
 彼は戦後、単身で上海を脱出、様々な職につきつつ各地を転々としたのち、ようやく
ここに落ち着いたのだそうだ。話を聞けば面白そうだったが、なにしろ長旅で疲れて
いたので、チェックインを済ませるとすぐにシャワーを浴び、昼寝を決め込んだ。
 
 目覚めたのは夜の十時頃。散歩がてら、夕食を食べるところを探しに出かける。
 
 バーハのシンボルである灯台のふもとで、若い男に時間を聞かれた。なにか、嫌な
感じがした。案の定、奴は「ビールを飲みたいから金をくれ」とねだってきた。周り
に人陰もないし、まだ、旅の感覚に慣れていない。深入りするのは避けて立ち去る。
 
 懐かしのバイーアなのに、どこかチグハグな感じがして馴染めないのがいらだたしい。
 
 海岸沿いのレストランでムケカを注文したが、あまりの量の多さに食べきれず、残
してしまう。一人旅は、こういう時に困る。
 
 こんなふうに、なんとなく心寂しい思いで一日めを終えた。あれだけ昼寝したという
のに、ベッドに入るとすぐに熟睡できた。

2000年2月27日