"reveillon"というのは、手元の辞書によると大晦日を意味するようだ。しかし、
バイーアでは、ある特定のイベントを指し示すものとして使われている。それは、
バーハ灯台のふもとで毎年行なわれる恒例の音楽イベントのことで、新聞などには
"Reveillon da Barra"と固有名詞扱いで表記される。
 大晦日の夜、野外で行なわれるこの無料コンサートは、バイーア市民にとって新
年を迎えるのに欠かせない行事なのだ。僕は過去に五回ブラジルを訪れているが、
うち三回は年末年始の休暇を利用しての訪問だったので、このイベントを楽しみの
一つにしていた。


              <Reveillon 98-99>       


 この年は、サルバドール450年記念ということで、前年にもまして大がかりな準備
がなされていたようだ。何日も前からバーハ灯台のそばにドでかい時計が据え置かれ、
時を刻んでいた。去年と違って、日が暮れる頃にはアクロバットやジャグリング等を
披露する芸人や体長3メートルほどの巨人(張りぼての中で人が操っている)が出没し、
子供たちを喜ばせていた。巨人たちは、アフリカ系やヨーロッパ系、アラブ系等の顔
だちを誇張した形に作られていた。

 灯台の前に、真っ白な民族衣装で正装した、たくさんのバイアーナたちが集まって
いる。皆、会場に流れる音楽に合わせて、思い思いに踊っている。どこかから大量の
シャボン玉が流れてきて、夕日にキラキラ輝いている。
 ゆったりしたレースのスカートを膨らませて揺れているたくさんのバイアーナたち。
ワンピースも帽子も純白だが、幾重にも巻かれたビーズのネックレスは、それぞれの
オリシャを表象していて、鮮やかな原色の赤や黄や水色などだ。夕闇の中に褐色の肌
が溶けていく。幻想的で、すごく美しかった。
 ひとりひとりを追ってみると、街角でアカラジェを揚げているその辺のおばさんで、
タバコを片手に不適な笑みを浮かべていたりするのだが、いや、だからこそ、夕陽と
大西洋と灯台を背景に舞うさまは、神話的な大らかさを感じさせる。
 祝祭の神・デュオニソスに侍るのは、こんな妖精たちなのかもしれない。

 何枚も写真を撮っていると、そばにいた家族連れが「あんたも写してあげよう」と
僕のカメラを取り上げ、乱舞するバイアーナたちの前でポーズをとるように促された。
パチリ。一枚撮ったところに張りぼての巨人がそばにやってきて、一緒に撮れという
身振りをする。肩を組んで、パチリ。続いて、家族連れの中から三人姉妹がやってき
て、一緒にパチリ。

 そうこうしているうちに、今宵の主役がやってきた。純白の布を体に巻き、同じく
純白のターバンを頭に巻いた女性たちが、シェケレを掲げて先導する。幾重にも巻か
れたビーズの首飾りに加え、小さな瓢箪をたすきがけしている。
 巫女のごとくなにごとかを唱えつつ、シェケレを振ってリズムを整える。神事の始
まりを感じさせる荘厳な波動をまき散らし、先ほどまでの大らかな空気を塗り替えて
いく。

 実にアフリカ的な身のこなし、そしてリズムだ。一体なにものだろうか?
 遠巻きに眺めていると、広報係(?)の青年が一枚の布を配り始めた。ちらしみたいな
もんだろう。もらいに行って広げてみると、白地に青で"BADAUE"と書いてあり、
アゴゴーや子安貝のデザインとともに"Salvador - Bahia - Brasil"と記されていた。
 「イジェシャー*」の歌詞にもある、あのバダウェーだ。商業的なバンドではなく、
純粋なブロッコ・アフロをこの目で見るのは初めてのことだ。
 (*"Filhos de Ghandi, Badaue, Ile Aiye, Male de de Bala, Ogum Oba...."という
  歌い出しで始まる、アフロ=ブラジル文化の台頭を讃えた古い歌。クララ・ヌネス
  が有名だが、シモーネ・モレーノもカバーしている)

 儀式が一段落して、シェケレの女性たちが、ずん、と前に進むと、あとに続くのは
同じく褐色の肌のダンサーたち。50人はいるだろう。男性はゆったりした白いズボン
を穿き、お揃いの白い布を、あるものは頭に、あるものは二の腕に巻いている。上半
身は裸だ。女性たちはゆったりした白いスカートに、純白の胸当て。白い布以外には、
アクセサリーは何もない。
 そのシンプルないでたちが、なんとも言えずカッコ良かった。

 
to be continued....
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                         written  by  "AXE junkie"

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